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長らく勤めた後の、新たなる人生、如何に生きるのか
by makkii-hiro
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死後の世界 仏教 無我 霊魂


死後の世界の否定者とは、住職さん?? 信じられないですね。全部が全部だとは思っていません。恐らく一部の人でしょう。日本の宗教界において、マルクス主義や、カントの流れを汲む思想の影響を受けて、日本の大学のインド哲学科や、仏教学などでは、長らく、無霊魂説を近年の若者達に教えてきました。仏教の基本が無霊魂説と、おそわってきた若者達は、今や社会をいごかしている中心人物となっています。

彼らは、「釈尊は無我を説いたのだ。仏教は無霊魂説なのだ。霊魂など無いと説き、あの世も否定した。釈尊は無我を説き、霊魂も霊界も認めなかった」と論じています。そして、昨今の、仏教に関する書籍の中で、死後の世界についての記述は、ほとんど、肩透かしの如くの扱いで、人間の死に至るまでは、詳しくかかれてありますが、死の瞬間、死後の状況について、はっきり明示している書物は見当たりません。

今、そんな教育を受けた人たちが、日本仏教の底辺で、支えている人々、お寺の住職さんとなっています。彼らは、職業人として、葬式を出したり、戒名をつけたり、墓を作り、法事をしています。あの世があって、成仏して下さいと、供養しているのに、かかわらず、心の底では、あの世も無い、霊魂も無いと思っているのならば、全く、矛盾しています。何のために葬式代、供養代として、あまり安くはない、お金を支払っているのでしょうか。

無我説の捉え方が、間違っているとしか考えられません。仏教には、輪廻転生の教えがあります。死後霊体となって、再び転生する、とあります。真なる無我説とは、「己の執着、我執を去らなくては、心の安らぎを得て、天上界には還ることは出来ない。」そして、無我説を、説く事によって「肉体の五官による動物的な執われをさりなさい。動物的生存は人間の本来の姿ではない。」という事を教えたのです。

ところが、「我執を去れ」と、「人間の本体は無い」は、思想的には別なのに、混同している人が、居られます。霊界の存在を、知ったうえで、此の世を見るのでなければ、人間の生きる意味は分らないのです。霊界があってこそ、「此の世はかりの世である」と言う事が明確に分るのです。此の世が仮の世だから、「諸行無常」の思想が生きてくるのです。それを仏教では悟りと呼んでいるのです。

「繁栄の法」幸福の科学出版P219,220より
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by makkii-hiro | 2009-11-27 17:42
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