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長らく勤めた後の、新たなる人生、如何に生きるのか
by makkii-hiro
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死後の世界、否定者の論理


此の世には、仏教的知識を持つ人ほど、死後の世界を否定するのが、常道みたいになっています。私としては残念な事ですが、どのようにすれば、信じてもらえるのかと真剣に考えました。結論は、そうです、ストレートに、論理的に死後の世界、否定者ののポイントを列挙してみました。中村 元先生の講演録「老いと死」を語る からです。100%信じる、私にとっては難しいレポートでしたが、皆さんは読まれるでしょうか。このポイントを読まれて、ここは、このように突っ込みすれば、分ってもらえないかなと、思われませんでしょうか。あの世を信じればこんな苦労は全くしなくてよいのですが。

神秘主義思想(ミスティシズム)について、 我々が経験できることは、五感で知り得る範囲だけなのですが、しかし、五感で知り得ない事だってありえます。このような視点から思想展開するのが、ミスティシズムといわれています。そして、つまり、この経験を超えたところに、見える世界の法則なり、思考の原則を適用しようとするのが、オカルティズムといわれます。よって、神秘主義、オカルトは、思考の範囲の逸脱なのです。

* ここで 「死後の世界、否定論」 が、はっきり明確になってきます。

我々の、経験すること以外に、経験し得ない領域と言うものも、あります。この領域は、普通の人、凡人には見えません。見えないから、実証出来ないのです。

我々に、見えている世界があると同時に、見えない世界もそこに存在しています。このことは、我々の経験界に於いては、思考の原理、原則に基づいて考えたり、行動している、つまりその事が、論理的原則として了承されていることなので、見えない世界がそこに、同時に、存在する事は、なんとも説明がつかないし、思考の原則が適用できないのです。

見えない世界もあるということを、いっているんだと思います。人間が生き、そして死んでゆくということは、不思議でなんとも説明がつきません。そこには、思考の原則と言うものが、適用できないからです  p60

*更にこのような、言葉を論じています。「西洋的合理主義の限界」として、次のように批判されています。

西洋哲学は、「身体は滅びるけれども、霊魂は死なない」 と言う論理が構築されていました。このなかで、「不死であると言う事が無ければ、道徳が成立し得ないから」という、合理的理由で、「霊魂は不滅でなければならない」 と考え方が、カントを筆頭に観念論哲学者達に承認されていました。

霊魂は不死ならば、道徳を義務づけることになる。に対して、霊魂不滅ならば、道徳を義務付けない事になる事がある。すなわち、生き物の霊魂が不滅であれば、殺しても、霊魂があって、やがて輪廻転生する。このことは、機械論的思考でいくと、霊魂が残るから、人を殺してもかまわない、とか、祭りの生贄を正当化する事に通ずる。として、ひろい視野から言うと、霊魂の不死は、決して、道徳を基礎づけるものではない、といえます。「その意味でカントは、間違っていると思います」

*死後の否定論者の、極みとして、大胆に次の言葉を言われています。

「霊魂の不死」なる考えを、その判断を、中止したのは、仏陀や孔子などの思想です。p63,64

「輪廻と道徳」p64、65  「輪廻とは生まれ変わることで、当時のインドは生まれ変わりを信じていました。よって民衆を教化するためには、承認していました。」 (* しかし、見えない世界は、認めない現在の識者、中村元氏は次のように説明しています)  「本当のところはイエスともノートも言えないのです。一方では、生まれ変わると言い、片方では死後に霊魂があるとも無いともいえないのです。矛盾しています。ところでそれはおかしいのではないのかと見えますが、いやそれは構わないのです。人の心にあるエゴイズムにとらわれないようになる事(無我の教え)を、第一の目的であると、仏教では教えられているので、その手段としてこのように言ったのです。

* ここにおいて、「この霊魂のあるなしについて、仏陀はあるとも無いとも言っていない」 と中村 元先生は、   明言されています。

道徳について、仏教の「因果の理法」について言うとすれば、絶対的な意味で、「善い事すれば善くなり、悪い事すれば悪くなる」という考えを、説く人がいますが、これも、大体世の中見れば、善い事すれば、何となく善い報いがあって、悪い事すれば、何かしら悪い事がおきる事が、一つの傾向として言えます。

* 「善いことすれば、必ず善くなり、悪いことすれば、必ず悪くなる」 なんて、今の世、はっきり言えることでし   ょうか」 について、道徳的教えとして、正しくないと言われています。

このように、仏教の言う輪廻、道徳について、厳格な物理的な法則のように、考える事は出来ないが、人間の拠るべき道筋と言う事では、認められる。

* 人間が、死に至る、瞬間の心理について、次のように述べられています。

「生死即仏道」p66~69  死の瞬間の人間の想いとは、どういう気持ちで死んでゆくのかは、各々の人に認められる自由です。死ぬまでどういう気持ちを持つか各人の問題です。そこに個人差が生まれます。

「死の時を待つ」心境は、阿含経では、死の恐怖は存しない、生への愛着は存しない、正しく知り、正しく思い、疑惑を捨てると言う心境で、ただ平静な心境で待つと言う事です。この境地を  「不滅の境地・不死の領域・不死の境地」と言われています。
以上です。


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中村元「老いと死」を語る」麗澤大学出版会 中村元(1912~1999) 1993年12月4日「生と死を考えるセミナ―」講演録より 保坂俊司 (¥845 )
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by makkii-hiro | 2009-11-23 00:13
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