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長らく勤めた後の、新たなる人生、如何に生きるのか
by makkii-hiro
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シルバから見た死生観 1

別のブログよりの転記、いま少し御了承お願いします。前回No7の文章の中で、死生観の一編がありました。実はその続きを、「シルバから見た死生観」というタイトルで、No8より転記しました。実は家内の実母実姉の死に関しての死生観をブログで、述べています。既に、もう少しで、一周忌です。どうかよろしくお願いします。

No8                             2008/10/22 19:13
今いつものところと違うパソコンから、書き込みしている。 死後の世界、について少し話そう。いま、千の風にのっての歌詞の中に、私のお墓には、誰もいない、大空に漂っているなんてあるが、全く、勘違いされてしまうので、死に行く人に申し訳なく思う。間違いなく、死後の世界は実在界に、存在している。死んで何もなくなる、自分は消えてしまう、なんて思っていた人は、是非これを読むべきだ。もし貴方が今死んだとする。現実は、直前の意識がそのまま、否、死ぬ前、数か月、数週間、意識朦朧、寝たきり、だったのにかかわらず、元のしっかりとした自分の意識に戻っている自分を発見するだろう。肉体からスート離れることも出きる自分を発見するだろう。自分はまだ生きている、と確信するだろう。だが、片方、横たわっている自分の肉体を、発見するだろう。人間は、死後魂が肉体から離れて、霊界へ旅立つのだ。この真理を皆さんに熟知していただきたい。
 今は、墓など無用の長物なんて思っている諸君。亡くなったその人を思う心の中にしかいないと思っている人。宇宙の生命の大エネルギーの中に漂っている、と思っている人。全くすべて違っている。死んでも意識は、自分の肉体の近くにおり、二三日もたてば、肉体から離れている自分に気付く。49日までには霊界の中から、その人の身近な、先に旅立たれた人が、お迎えに来る。中には、拒否して此の世に、不遊霊として、漂っている人も居るとの事。身近な人に、連れて行かれたところでは、自分の一生を画像で、霊界へ先に行っている人たちと見せつけられるのだ。見ておられる人たちの絶賛を浴びたら、その人は天国へ旅立つ。今一の人たちは全て、ちょっとうす暗い所へ、誘い込まれ、なぜ今一なのか、反省を促されるだろう。そこで幾年つきをすごさなければならないのだ。見ている人達から、非難を浴びる人は、真っ暗な世界へストーンとまっさかさまに落ちていくことであろう。くわばらくわばら。
 はじめに言ったお墓の話だが、墓は無用と思っている人、少しでも思っている人、に伝えたい。このように、死んだら天国へいかれる人ならば、それはいつも墓には居ないだろう。天国へストレートに行く人、現実は少ないらしい。薄暗い、灰色の霊界へ行く人が多いらしい。一直線地獄へ行く人もそこそこ居るとの事。そして、天国へ行く人以外のひと(霊魂)は、此の世との繋がりのある所は何処なのか、それは、自分を弔ってくれた、亡くなられた人のお墓なのだ。地獄の苦しみから抜け出して此の世に出てくるところは、自分のお墓なのだ。これでもお墓は不要なのか。考えるべきだ。墓は無用と思う人、地獄・天国の狭間に、永遠に漂うことであろう。転生も出来ずに。
 最近流行っているらしい、パソコンの中での墓、DVDの中にある墓、吹けばゴミ屑になってしまうものに、自分のお墓を決め付けるなんて、この真実を知ったならば、そんなこと出来ないと思う。全くナンセンス、と思う。
 一仕事を終えた人、残された人生、世のため人のために、生きようではありませんか。いつ死んでも、悔いのない人生、今日からしましょう。今までの自分を見守ってくださった人々への感謝の思いを発しましょう。

No9                             2008/11/03 14:43
前回に引き続き死について述べる。姉妹、二人だけの時、あれだけ攻撃的な言葉を投げかけていた美人が姉。その姉の死。  姉は、還暦をすぎたばかり。葬式の準備などもたもたして、やっと対面。眠っているような、声をかければ、応えるような、微笑を浮かべた、美人。本人は、タバコは吸わないのだが、30代40代ずっと神戸メリケン波止場の近くで船荷を扱う会社に、派遣社員として、タバコの煙棚引く部屋で過ごしたからだろうか。 医者の宣告いらい約四年近く、おもいっきり泣き、そして、ヨーロッパ旅行、北海道旅行、有馬温泉、淡路島等々、おもいっきり時を忘れて、過ごした姉。少し未練が残ったようだが、寝込んでから、約半年。あまり苦しんだ様子はなかった。医療の進化によるものか。

No10                            2008/11/10 23:58
もう一回、のべる。姉の母91才、娘が死ぬのを待っていたかのように、後を追って十日後安らかに死去。母娘同じく時をして死す。方や病気、方や老衰。何も、面白おかしく言っているのではない。こんな、死ぬまで一緒であった、母娘。こんな事、あってよいのだろうか。普通に生きてきた、僕達にとっては、この母娘にはなんと不思議な縁があったのかな、と思う。因果応報の世界に生きる我等。

No11                            2008/11/19 08:48
11月8日午後二時死去、9日日曜お通夜、10日葬式、という日程を現実に体験した。そして、喪主に近いことを体験する。ここに記す。   こんな体験、一生に何回もないことだ。葬儀屋さんは、こことばかりに、葬儀一式分厚いカタログを、目の前に置いてけし立てる。立派な葬式しようと思えば、百万円代をはるかに、超えてしまう予算。葬儀会館使用しての予算。とても、無理な現実だった。金無し。家族葬を考えた。お年寄り(91才)、地域での交流が深かった人、都会型のお付き合いをしていた人など等、考えると、車(タクシー・バス)でなければ行かれない所に在る、葬儀会館など、とても適するものとは、考えられない。よって、爺さん婆さん住んでいた自宅(今は誰も住んでいない、ガス停止の家)でする事となった。細かいことは、省略。予算約60万円だった。一番安く仕上げたつもりだ。他に花代、坊さん、食事代など加えても約20万位加算されるだろう。早い話、我が身、死ぬ時、100万円は必要と思うべきだ。最低葬儀費用は二・三十万はかかるようだ。死に体を運ぶ・斎場にて、焼却等々一式だそうだ。
  そんな話はこれ位で終わり。死に様について。姉にしても、婆さんにしても、なんとなく、少し、微笑んでいるかのようだった。姉は死美人そのものだった。死ぬ前、数ヶ月、顔がむくんだり、気難しい顔だちだったのに。婆さんも、愛らしく、微笑んで見えた。
  お通夜の晩。坊さんの読経の後の挨拶について、一言述べる。自分の父親の時もそんな話をしたのだけれど、もう14年も前。死後の世界を、如実に述べた。皆さん聞き入ってくれた。「あいさつ掲示板 No8」にて、詳しく述べているので。簡単に話す。人間は、色身不ニ(しきしんふに)、即ち、肉体と心(霊体)は、切り離されないのだ。死後、肉体から、霊体となって、離れる。斎場にて、肉体が焼却され、肉体には戻れない。四十九日までには、あの世から、お迎え(先立たれた身内の方)が来て、一緒に旅立つ。映画館のような、ホールに入る。そこでは、スクリーンに映し出された、自分の一生が、走馬灯の如く、映し出される。周りを見ると、先に亡くなった、知り合い、親戚、身内、友達等々じっくり見ておられる。いまいちの自分の人生をかいまみえる。少しうす暗いところで、何年か過ごすんですよ、と、いつの間にやら、自分の横に居る、守護霊から言われる。今の世の、大多数の人は、あの世の入り口付近で、少し勉強をしてから、天国へ旅立つらしい。そして、天国へ、ストレートに、行かれる人は、少ないそうです。などなど、そんなことを、お通夜で話した。またまた次回で・・・。
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by makkii-hiro | 2009-11-04 10:43
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